猫と学ぶ、はるまきの作り方

春巻ねこです。物語のようなものを書きます。書きながらの公開なので、随時加筆訂正しますが、大筋のストーリーは変わりません。この物語は、フィクション、です。

はるまき定食 四皿目

こんにちは。

春巻ねこです。

 

春巻は映画が大好きでした。

幼児から小学生の頃にかけてはテレビで、中学高校の頃は劇場やレンタルビデオで、ジャンルや出演者にこだわらず、旧いものから新しいものまで、時間とお小遣いの許す限り、どっぷりと映画の世界に浸る日々を過ごしていました。

 

春巻は毎回、「これから観る映画、アレだといいな」と思っていました。

「アレ」というのは、その頃はうまく言葉で表現できなかったのですが、「遊園地のお化け屋敷を通り抜ける時のような感覚を与えてくれるもの」のことです。

 

お化け屋敷といっても、スリラーやホラーというわけではありません。

普段、見慣れた人達と見慣れた日常生活を送っている時には得ることのできない、刺激的な快感を与えてくれるような。

その2時間前後のトンネルを通り抜ける間、現実の世界を完全に遮断して、自分を別世界に連れて行ってくれるような。

 

当時も、お化け屋敷映画じゃないものもたくさんありましたが、お化け屋敷映画もたくさんありました。

高校を出てからは、いろんな理由から映画を観る機会は少なくなってしまいましたが。

 

たくさんの映画が心に残っていますが、その中で最近ふと思い出した一本が「未来世紀ブラジル」です。 

 むかーし何度も繰り返し観たとはいえ、なにせむかーしのことなので細かいところまでは覚えていません。

でも、そのコミカルさやポップさ、その底に潜む哀しみや虚しさ、残酷さ、諦め、滑稽さとカッコよさの同居、全編を通して漂う違和感、振り回される異様な快感、終わりの終わりでなさ、そして希望のような何か…当時の春巻の琴線が、連打に次ぐ連打でへろへろになった記憶があります。

 

ちなみに映画ではないですが、同時期に読んだ「ドグラ・マグラ」も通底するテーマがあったように思います。

ドグラ・マグラ」は、一度読んだらお腹いっぱいでしたけど。

 

未来世紀ブラジル」を今観直したとしたら、むかーしのように集中してビリビリくるのかどうかは分かりません。

トンネルが同じでも、通り抜ける春巻の方がむかーしとはもう違うから。

 

 

書いてて思いましたけど、お化け屋敷は入ったら出てこなくてはなりません。

つかの間、別世界に存在し、普段は得ることのない快感を得て。

映画以外にも、そういうものって色々ありますね。

先ほどの「ドグラ・マグラ」のような書物然り。

音楽や、舞台、絵画などにも存在します。

そしてある種のシチュエーションにも。

 

お化け屋敷とは、すなわち物語性のあるトンネルであり、その形は様々で、人はそれを通過することによって自己をフィルターにかけ、取捨選択し、そこを通る前とは違うものになります。

それは再生であったり、死であったり。

例えですが。

 

でも、そこにずっといてはならない。

トンネルは、入ったら出るからトンネルなのです。

終わらなければ、それは娯楽ではなく地獄。

 

アリスはちゃんと帰ってきました。

浦島太郎は、あれは、太郎の半分しか帰って来なかったのかな。

大人はなかなかうまく帰ってくるのは難しいのかな。

ドグラ・マグラ」と「未来世紀ブラジル」の主人公は、帰ってこないものね。

 

今もし、気持ちいいからお化け屋敷にずっといたいなと思っている方がいらしたとしたら、ちゃんと出ておいで、と春巻は思います。

経験的に。

 

しっかりと、転ばないように。

振り返らずに。

見てしまわないように。 

 

春巻がオルフェウスのように、あなたを迎えに行けるといいんですけど。

ああ、そうか。

オルフェウスは確か