〜「夢でも、うつつでも、ない」〜
気持ちがいい。
寝っ転がって漫画を読んでいた息子の横で一緒にゴロゴロしていたら、いつのまにか眠ってしまったらしい。
庭の紅葉した木々が、時々さわさわと音を立てる。
木漏れ日は閉じたまぶたを暖める。
息子の規則的な寝息。
網戸を抜ける風は少しだけひんやりとしている。
もう少しこのまま昼寝していたい。
でも、なんだか。
なにかが少しおかしい。
なんだろう。
胸の奥の方がざわざわする。
部屋の中に気配がある。
猫以外の、何か。
目をそっと少しだけ、薄く開けてみる。
誰かいる。
その誰かは、首を少し傾けて立っている。
うつむいた長い髪の隙間から、半開きの唇がかすかに震えている。
でも言葉は聞こえない。
その潤んだ目はきらきらと光ってるのに、何も見ていない。
この世界の何にも焦点が合っていない。
その誰かを、知っているような気がするのに、霧がかかったみたいに記憶がまとまらない。
そうするうちに、その誰かが、息子とわたしが横になっているベッドの周りを歩き始める。
ゆっくりと。
衣擦れのような、髪が服を撫でるような音がする。
身体のどこにも力が入らない。
ものすごくドキドキする。
ドキドキするけれど、でも、目を薄く開けたまま、動くことができない。
それでもしばらくそのまま横になって、ぐっすり眠る息子の寝息に呼吸を合わせているうちに、不思議とまた眠くなってくる。
感覚と心が、急速に離れてゆく。
もう、どうでもいいや。
なるようになれ。
仕方ない、動けないし。
すとんと幕が降りる。
***************
息子に揺すられて、遠いところから意識が戻ってくる。
夢だったのか。
息子が湿った手を重ねる。
「おかあさん、さっきのきれいな女の人だれ?」
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目が覚めた。
朝だ。
夜の間に車のタイヤがパンクしていた、と夫が不機嫌そうに言った。
混乱した。
何かと何かが繋がっているような気がするのに、それについて考えようとすると霧にまかれたようにぼんやりとしてしまう。
とりあえず夫に、息子と寝ていたらいつのまにか女性が部屋の中にいた話をした。
でもなぜかそのまま眠ってしまって、起きたと思ったらまた目が覚めた、と。
夫は興味なさそうに、ふうん、と言っただけだった。
でも、ほんの数秒、物思いにふけるようにフリーズした夫の目の奥を、赤黒くひらひらした何かがちらりと横切ったような気がした。
まあいいや。
少し待ってみよう。
霧が晴れるのを。